プロフィール

代表理事のご挨拶

代表理事 菊川儀明

数多あるスイーツサイトの中より、当ホームページへお越しいただき誠にありがとうございます。
「好きを仕事に!大好きを一生涯の生きがいに!」(好き嫌いでは仕事にも生活にも成らないの?)
既存・日本洋菓子協会での活動の一環として外部(消費者や有資格者)との交流部会として「富士山洋菓子倶楽部」を主宰していました。「ガトー」でのコンテスト至上活動とは一線を画すために、『売ってなんぼでしょ!』に特化した外部販売員養成機関構想(笑)を数年来温めて参りましたが、この度2016年4月に【一般社団法人スイーツエージェント協会】を正式登記いたしました。

私たちスーツエージェント協会では「スイーツ好き」の人達との繋がりを大切にし、皆が幸せになる協会を
創っていきたいと考えております。

代表理事・菊川儀明(のりあき)って、どんな人?

  • 1965年、静岡県三島市生。
  • 1985年、大阪あべの辻製菓技術学校を卒業。
  • 1986年、辻グループ・フランス校製菓2期卒業。約半年間リヨン「ALOTTO」にて研修
  • 世田谷区尾山台「オーボンビュータン」にて約4年間河田氏に師事し、
    91‘再渡仏、リヨン・パリのパティスリーで働くも湾岸戦争で労働許可が下りず、93’帰国・帰郷。
    昭和7年創業の「ララ洋菓子店」の三代目として事業を継承。
    静岡県洋菓子協会理事、同東部会会長、富士山洋菓子倶楽部主宰、一般社団法人スイーツエージェント協会・代表理事
    製菓学校・短大農系ゼミ、実業高校(農・商・工)、小中学校にて「菓子職人・パティシエとは」の職業講話。
    所属団体主催で、都内有名パティシエを招いての「プロ向け技術講習会」など企画・開催。

出生~小学生時代

1965年(昭和40年)、静岡県東部では一番古い「洋菓子専業店・ララ洋菓子店1932年昭和7年創業」の長男として生まれました。若き太宰治が同人誌コラムに「三島で待ち合わせに使っていたおしゃれな【ララ】と言う店の看板娘とハイカラな味」と昭和初期に書いてくれた店です。高度成長期で両親・親戚・住み込み職人たちでごった返した中、厳格な父親は厳しく育てようと、階段の掃除(住居権ケーキ工場)などを幼子にさせていました。(姉と一緒に)
幼稚園年長の時、近くに住む祖父母(創業者)に賄いの食事を届ける時に車に跳ね飛ばされると言う、珍事が起こります。近所でも「偉い子」とか「ララの(長男)のりちゃん」として知られていたので、直ぐに近所の方の車で病院に担ぎ込まれ一命を取り留めます。

小さい頃からへそ曲がりで、親や他人の言うことを聞かず小学校の低学年から剣道場に通わされていました。その選択も柔道兄弟(父と伯父たち)と一緒にやりたくなかった…と言う理由で。小学校入学と同時に柔道、剣道、空手や少林寺などを父と見て回って剣道に。
しかも、学校よりも遥かに遠い2学区先、中学校区よりも遠い場所へ歩いて防具を担いで。(子供の足で1時間半以上、帰りに時間が合えば路線バスに飛び乗って)
日曜朝の稽古はまだ良いのですが、3~4年生で夜の稽古が増えると、高校生や大学生が心配して一緒に自宅まで自転車で送ってくれたりしました。高学年までは真面目に通い続ける訳もなく、理由を付けては休みがちになります。
性格は悪い上に、坊主頭・・・それでも勉強は嫌いではなく、アメリカのドラマに憧れたり、大学生のドラマなどにも憧れていました。身近な従姉妹が、アメリカ人(伯父)とのハーフだったのも好運でした。6年生の時、塾の英語の発音で褒められて有頂天になるくらい単純でした。姉の影響で洋楽も早くから好きでした。ビートルズやらクイーンやらキッスのLPレーコドがゴロゴロしてました。

中学生~高校生時代

中学校になり剣道部に入りますが、多少経験していたので、上級生に勝ったりして又、天狗になってしまいます。(それ以上は伸びません)高校の進路の時も、普通科へ行って大学へ行くものと自分で決めていたら、父親が「朝働いてから学校へ」と言い出す始末。
滑り止めなしで行けるところと「県立沼津商業高校」に合格し、入学間近の4月毎朝・叩き起される事に「嫌になり」何回目かの家出!
東京でフラフラ~なぜか?青森の青函連絡船で「剃り込み坊主頭・スポーツバック」で捕まります(笑)
三島に返されひとまず高校へ入学。そこでも又珍事が・・・。入学して直ぐの実力テストで何も勉強していないのに「上位に入る」・・・と。これまた天狗になる要素万点の事件。
結局、高校はラグビーと友達作りしか残りません。朝、『ベビーシュークリム』用のカスタードクリームを20リットル位炊いて行くのですから、学校の授業中は寝ていました。(笑) 不良のバイクで流されて「菊川~出てこいや~!」には起こされました(笑)
高校3年の進路を決めるとき一応ラグビー部キャプテンなので「推薦」が貰えるかと、甘い考え。(実際に勉強はしてない)

自分にはまだ就職の意思はなく、すったもんだで「ケーキ職人になるしかないか?」住み込みで働く菓子職人たちのレベルの低さに嫌気がさしていたのに、それもまた舐めていて「ケーキ職人なら卒業証書いらね~」と、学校に行かなくなります。(あと少しで授業もなくなる3年生の秋です、だから卒業写真撮影も終わり、卒業文集も顔写真載ってます:笑)
当然、大切なラグビー部の仲間にも迷惑が掛かりました。家業(ケーキ作り)の仕事も面白くなく、また家からも飛び出し友人の紹介で、住み込みの大工(型枠)もしたりして自動車免許を取らして貰ったりします。
当然の様に親戚や姉が探し始め、友達から聞き出し「親方の所へ」済みません家に返してくださいと。「それなら、勉強し直せるように」「専門学校へ行かせてくれ!」と、それを条件に再び「菓子職人の道へ」序章が長すぎですね。

専門学校時代 ~ パティシエの道へ ~

当時、「料理天国」という、芳村真理さんや龍虎さんが出ていた美味しい番組が流行ってました。
そこで見つけた「菓子職人」で、自分ち家との差「パテシエ」(当時・まだ呼び名も広まっていません)を感じ、大阪あべの「辻製菓技術学校」(料理学校の製菓としてまだ認可が降りる前でした)へ、入学(中卒も、社会人も、大学卒も一緒でした)出来ました。

そこでは働きながら(夜)学校へ来る元社会人、新聞配達に住み込んで仕事しながら(早朝)授業に出る事を普通にしている奨学金生と自分が「虐げられていた」と言う誤解を綺麗に払拭する友人たちに出会います。ですが、まだまだ自己満足は続きます。更に、親の脛を噛じってやろうと「フランス校へ」そこで素晴らしく意識の高い「後の有名シェフキュイジニエ・パティシエたち」に触発されるわけです。

まだパティシエコースは2期生で、カリキュラムも手探り状態?先生方も元は調理科出身ばかり、製菓主任のフランス人MOF(最高勲章)のモーリス・ボゲェイ先生は全く怒らない温和な人格者。コツコツと暇を見てはピエスモンテ(細工物)を完成させていく「本物の職人」の後姿を見る事ができました。ある時パティシエコースの10名を自宅に招いてくれて、奥様と共に「日本での」思い出を語って下さいました。修業時代の作品やパリのトローニャさんとの作品の話などや、若くして自分のお店を失敗する話、日本の企業(ロッテ系)に実力を買われて雇われる話、その後・辻グループに勤めることに成る話など短い時間にお話を聞くことが出来ました。
フランス校は料理人・サービス・パティシエを目指す若者が、自分たちでメニュー作りが出来るように成るまでのカリキュラムを約半年で完成させ、希望者は半年間実地研修でリヨン・パリのお店で働くことが出来ます。伸び伸びとお菓子三昧、料理人の友人たちに誘われて「星付きレストラン食べ歩き三昧」とにかく、パワフルで夢を持った20・21歳の青年たち「未来の有名シェフ」と言う掛け替えの無い友人たちとの半年があっという間に過ぎ。その御・研修先「アロット」さんでの出来事。初めての日本人パティシエでどの程度か向こうも探り探り、最初にレシピと道具を渡されて[creme patissiere]を炊いてみろ!と。ニヤッ、そうです、高校入学前から朝無理やりたたき起こされ、何度も家出のきっかけになった+通学前に【嫌々】炊いていたあの「カスタードクリーム」です。まあすんなり炊けましたし周りの心配をよそに他の仕事も無難に熟します。最初の月末に「これっ!」とマダムから手紙の様な物を頂きます。
中には何と!「現金!」確か4000フラン当時のレートで約8万円以上!・・・学生ビザでの研修なので「賄いや住居」位はお店の温情で出る場合があるけど、あとはオーナーのポケットマネー(税金を払えないので)から。当然大騒ぎ、学校に電話しても「そこは各お店の判断だから」とか友達からは「どんな仕事してる?」とか・・・・。仕送りの助けに成ったことは言うまでも有りません。

帰国後、いわゆる就活に入るわけですが日本を離れる前に準備していた数人を除き、求人票探しから始まるわけです(完全な出遅れです)まだフランス校製菓2期なので先輩の伝手もありません。学校の進路課を頼っても仕方がないので各自が足で探します。当初なんとなく「西洋菓子=神戸」みたいな勝手なイメージと、東京は静岡(三島)からも近いので、最初の修業は関西で探そうとしました。
学校の求人票をメモしてアポを取ったり、友人に付き合って食べ歩きしながらアポなしで話聞いて頂いたり・・・・。中々なくて一旦実家に帰ることに成ったある日「運命の電話が!」

同じパティシエコースの友人で千葉出身の高木康政君から、「きく~東京の食べ歩き(職探し)に付き合って~」と電話。ベースは高木君の千葉の実家。2~3日目のある日「下北沢のマルメゾン(本多劇場)」に、もと辻製菓の先生がいるらしいとの情報を得ていざ!元先生の森さんを頼りに下北沢へ。「マルメゾン」は2店舗で大山チーフは成城のお店で、森さんは下北沢。そこで話をしながら「食べ歩きよりも職探しなんです」と悲痛な叫びを訴えていると、そこへ大山チーフ登場!
「どの辺りが希望なの?」と二人に聞いてくれて、高木君は「やっぱり首都・東京が一番!」と力説、自分は「実家が静岡なので、最初は関西で・・・」と。大山チーフ「君はうちで決まりだな」と高木君決定! 「君は関西なんて言わずに今から言う所に行ってみな、ちょっと待ってて」と電話を掛けに行ってしまった。すれ違いに森さんに何やら言っていたようで、森さんが向かってきて「菊川~お前、凄い店に行けるぞ~」と、脅かす始末、高木君もその名を聞いた瞬間少し不安気味に、そして羨望の目をこちらに向ける。大山チーフが電話から帰ってきて、「2~3人バタバタ辞めさせちゃって洗い場とかがグチャグチャらしいんだよね」・・・「でも辛抱すれば、日本で最高のフランス菓子出す店だから」と。

そう、その店の名は学校の外来講師として聞いていた程度で、その時はぴんと来なかった。マルメゾンを出て高木君の実家に帰りながらの彼からのレクチャーで「日本一厳しい店」「コテコテのフランス菓子」「厨房内もお店さえもフランス語」「フランス・パリのホテルで日本人で初めてのシェフパティシエ」などなど・・・高木君は本当によく知っていた。(笑)

その店こそが人生最大の好運を使ってでも入れない、通常業者の紹介や伝手を使っても3~4年は待ち状態の知る人ぞ知る有名店。当時マスコミ取材拒否だった尾山台「Au Bon Vieux Temps」河田勝彦氏のお店。

団体情報

団体名 一般社団法人 スイーツエージェント協会
代表理事 菊川 儀明
設立 2016年4月7日
所在地 〒411-0045 静岡県三島市萩66
活動内容
  • スイーツ関連講座の開催
  • ノウハウ(販売)の提供
  • エージェント会員の募集活動
お問い合わせ先 電話:055-987-7499 WEBからのお問合せはこちらから

お申込み・初期登録に関して

当スイーツエージェントのオフィシャルサイトでは現在クレジットカードでの買い物カゴ(お申込ページ)を装着しておりません。

したがって、メルマガ登録以外で直接「お申し込み」をされたい方は代表理事のお店・ララ洋菓子店のネット販売サイト
「ありガトー.COM」に、御座います一社)スイーツエージェント協会のページよりお申し込みくださいませ。

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